「芸術は爆発にゃ」まめ画伯

お仕事シリーズ

『ちゅ~る吸う少年』2022年 秋

色々とパクりまくっています(-_-;)

2022.10.23( 晴れ
5日程前に、小学校~高校までのお友達5人とランチに行きました。
中には30年ぶりぐらいに再会した友達もいまして「やっと会えたなぁ!」と懐かしさ爆発です。

全員が小学生~高校生まで一緒だった訳ではなく

*Pちゃん、Yちゃん、Nちゃん、わたしは同じ小学校
*中学はPちゃん、SちゃんがM中
 Yちゃん、Nちゃん、わたしがF中
*高校はNちゃん以外が同じ

ちなみに高校のクラブ活動が
*1年生の時にYちゃん、Sちゃん、わたしが美術部
*2年生になりわたしとSちゃんは美術部を辞め、Pちゃんと共にソフトボール部を立ち上げ活動

ところで・・
昨日は横浜の社宅時代に一緒に過ごしたお友達4人と大阪で集合。年齢はバラバラです。
こちらはランチではなく晩御飯でした。

社宅は1棟建てで、階段が3つあり、向かい合わせの造りになっています。
それぞれ東階段、中階段、西階段と呼んでいました。
基本階段毎の行き来が多かったように思いますが、小さな社宅ですので全体的にあちらこちらで交流がありました。
昨日の4人の中ではわたしが10年で一番長く在住しておりました。
社宅という性質上、出入りも多く何軒もの家族と出会いと別れを繰り返してきました。
悲しい別れはたくさんあったはずですが、転勤の辞令が出て涙で別れた知り合いと再び同じ社宅になった事案は度々聞きました(笑)
わたし以外の3人はそれです。

さて、この2件の出会いですが、当然のことながら思い出話しに花が咲くのですが・・なんせ年月が経ちすぎて・・

学生時代の方は
「なぁ~帰りのバスの出来事おもしろかったやんな~」
「いや、だからわたし中学違うし」

「ほら6年生の時の隣のクラスの先生怖かったよな、名前なんてったけ?」
「いやいやわたしに聞かれても小学校別やし」

「美術部で合宿に行ってな~○○な出来事があってな」
「わたしも1年の時美術部やったし知ってる」
てな具合です。

社宅の方は
「東階段の○○さんがな・・」
「えっ?○○さん中階段と違った?」

そして名前が出てこない
「え~と大柄でコンビニで働いていた奥さん」とか
「いつも青いスラックスを履いてるだんなさん」とか

挙句は違う社宅での思い出を、横浜と勘違いしてしばらくしゃべるとか
「そのエピソード全く知らんはずやわ(笑)」なんてことも。

ただどちらの集まりでも、涙を流して笑う場面が盛りだくさんで
「あの頃は楽しかったよね・・・」
というセリフが・・
「うん・・楽しかったなぁ~」
わたしも心の底から返事をしていました。

そして口々に
「又、必ず会おうな~」と言いながら別れたのも同じです。

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