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この顔にピン!ときたら

右下のわんこは「まろ」と申します。私と出会う前、彼には別名があったはずです。
どなたかの飼い犬だったのです。
2001年か2002年の12月、別府の上人(しょうにん)地区でウロウロする姿を見かけるようになりました。当時賃貸マンションに住んでいた私はマンション下にあるコンビニで勤務をしていました。大きな犬がウロウロする姿は大変目立ちます。なつっこいわんこで方々で食べ物はもらっていたようです。
本人はお腹も満たせて、自由に闊歩できる環境を満喫していたように見えましたが、私と動物好きの女性店長(私より10歳下です)は、いつか通報されるのではないか?と冷や冷やとしていました。
警察にも届けが出ていないか連絡をし、近所の犬好きの方が新聞にも情報を出してくださいましたが、飼い主さんの手がかりはつかめませんでした。
年末の押し迫った頃、お店に保健所の職員と名乗る方が「この辺に大きな野良犬がいると聞きました。通報があったので連れて行きます。知りませんか?」と・・。「おとなしい犬です。連れて行かないでください!」と懇願するも聞く耳を持ってくれません。みつからないようにどこかで潜んでおいてと祈りながら、同時に私が保護しなければ彼はもう生き延びられないだろうとも思いました。
幸い保健所員にみつかる前にまろを先に発見することができたのですが、途方に暮れたのも事実です。
もちろん賃貸ですので犬や猫は飼えませんが数ヶ月間だけ許して下さいの思いで家に連れ帰りました。春休みまでなんとか凌いで京都の実家に預かってもらうことにしたのです。家を建てるまでの期限付きです。
幸いまろは家に居る間は一切鳴き声をたてません。早朝に下のコンビニの裏につなぎに行き、仕事終わりに散歩をさせてそっと階段を上がり部屋に連れて帰ります。
ある日、我が家に近所のラーメン屋さんのご主人が訪ねて来られ「たろうちゃんを保護してくれてありがとう!いつもあげちょったんよ。たろうちゃんに食べさせてやって」と、なんと!チャーシュー用の立派な豚の塊肉をくださいました。へ~たろうちゃんて呼ばれてたんや、しかもめちゃめちゃ贅沢な食事してたんや・・・と世渡り上手に驚きました。おいしそうでしたが、ちゃんとまろに全部あげましたよ(笑)
ちなみにまろという名前はコンビニにアルバイトに来ていた女子大生が命名してくれました。
さて本題です
前の飼い主さんが奇跡的にこのサイトをみつけてくださることを切に願っています
放浪していた時まろは、立派な青い首輪にダニ除けの首輪まで付けてもらっていました。その姿からしてちゃんとした飼い主さんの元で過ごしていたのではないかと思われます。捨てられたのではなく、はぐれたのではないかとずっと思っているのです。(根拠は別にもあるのですが、それについては別の日に記したいと思います)
もし私が前の飼い主ならば、もう生きていないとはわかっていても
「あなたのわんちゃんは幸せな一生を送りましたよ」と教えてもらえれば、それまでの後悔の念や、考えても考えても答えの出ない愛犬のその後の姿・・それらの霧がいっぺんに消えてなくなり、胸の仕えが下りるのではないでしょうか?生き別れ程つらい別れはないように思います。

まろはとにかく散歩が大好きでした。お休みの日はいつもより長い距離を歩いたり、走ったり、小高い丘を登り切れば別府を一望できる場所に出ます。まろと休憩をして、パノラマの景色を眺めるのは私にとっても幸せなひとときでした。
裏の奥さんにも可愛がってもらいました。おやつをもらってご満悦です。
外が好きなわんこでしたので、お庭で放し飼いにしていました。表も裏も自由に行き来できるので犬好きの近所の方々とは交流があったようです。昼間家にいない私よりよほど顔が広かったと思います(笑)
推定ですが12歳ぐらいで天国に召されました。最期は足腰が立たなくなっていたので、家の中で過ごしていました。とにかく散歩が好きでしたので大きな大きな犬用のカートに乗せ、亡くなる前日まで一緒にいつもの散歩コースを歩きました。見知った顔に出会い、いつもそうしてもらっていたのと同様におやつをもらい、大喜びで食べていた姿は印象的です。最期の最期まで食に対する意欲も失ってはいませんでした。幸せな一生だったと思います。

正直手のかかる犬でした(笑) ただ、本人は十分楽しい人生(犬生?)を送ったに違いありません・・。
前の飼い主様ご安心を。



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